スタッフ紹介

代表 平井 大樹(ひらいたいき)

【経歴】

  • オステオパシー取得
  • 頭蓋矯正取得
  • 内臓整体取得
  • 筋膜リリース取得
  • チャクラ、経絡エネルギー調整取得
  • 外反母趾矯正取得
  • 手専門整体取得考案
  • 小顔整体取得
  • 姿勢循環療法考案
  • 他の院長に技術指導

※現在、平井指名のご新規様のご予約は既存客多数のためお取りすることが出来ません。

こんにちは親バカの平井です。うちの娘かわいいでしょ。子育ては大変ですが、子どもが成長していく姿を見るのはとても幸せです。

同じように子育てや仕事をがんばる女性のために施術します。

幼少期から青春時代まで

子供の頃は、
野球、サッカー、ドッチボール、かくれんぼ、など 暗くなるまでずっと公園で遊んでいました。

この時は、プロ野球選手になりたいと思っていましたので、まさか自分が治療家になるとは思ってもいませんでした。

高校時代は野球に没頭

大阪で夏の予選ベスト8を目指して頑張っていましたが、2回戦で敗北。。。
本当に悔しかった。

悔いが残り、大学でも野球を続けたいという想いもありましたが、 ベスト8まで行けなかったときはスポーツトレーナーになると決めていました。

選手としてはここまで、今後の人生は選手をサポートする側にまわろうと思っていました

それから高校卒業後、スポーツトレーナー学校に入り元巨人のトレーナーの方のもとで2年間みっちり解剖学、運動学、トレーニング、テーピングなどを学びました。

学校に行くと同時にスポーツクラブでインストラクターや母校の野球部でトレーナー活動を行っていました。

転機

専門学校卒業後、少年野球チームのトレーナーをしていた時です。

肘の内視鏡の手術をした選手がいました。整骨院や病院でリハビリを行っていましたが、なかなか復帰できずにいました。この時に、私も野球をしていたころに肩や膝をケガした時のことを思い出しました。

私も、整骨院や整形外科、針やマッサージを受けていましたが、 整骨院は、電気と機械とその場限りのマッサージで若い見習い先生に当たることもありました。整形外科では、レントゲンを診て骨には異常がないので湿布して安静にして来週来てくださいと言われるだけ。
整体院では、説明もなくバキボキされて恐かった。針は痛いし恐いだけ。 マッサージはマニュアルに沿ってやってるだけでした。

そんなところばかりだったのを、思い出しました。

こんなにずっとつらいのに、こんなにずっと苦しんでいるのに、

「うちで治しますから大丈夫ですよ!任せて下さいね!」

と責任を持って言ってくれるところは、ひとつも見つかりませんでした。

治せる先生がいない、その場限りの施術しかできない、だったら自分が出来るようになってやる!

『私が治しますから大丈夫ですよ!任せて下さいね!』

と責任をもって言えるような治療家になろうと決め専門学校に入学しました。

弟子時代

その時に働かせてもらった整骨院はお年寄りの方は少なく、近くのスポーツをされている学生さんや各種競技のプロの方が来院されていました。
そこでの光景はすごいの一言でした

試合前の学生さん、怪我をして不安を抱えながら来院され苦しそうな顔で来院されましたが、帰りには明日いけそうです!と喜びの顔に変っています。
そして翌日に試合で優勝しました!先生のお陰ですと言いに来てくれる。 旅行の前週に腰を痛めて旅行を諦めかけたお客さんが、お土産を持って笑顔で来院されたりと、そんな事が当たり前のように起きていました。
人に感謝されるこの職業の魅力を肌で感じ取った瞬間でした。

そこでマッサージや関節の改善方などを学び、色々なお客さんに接して技術・接客・掃除にいたるまで徹底的に指導をうけました。
朝から晩まで仕事ばかりでしたが、この時が一番楽しく充実した毎日でした。

国家試験合格

国家試験も無事一回で合格することができ、それから北摂のとある整骨院の院長を4年経験しました。

この時に、保険による施術の限界と従来の整骨院の形の限界を感じ完全予約制の自費整体で一人一人にあった施術を提供できる整骨院を作ろうと思いました。

現在

野球

20代前半は草ソフトボールもやっていましたが、日祝も働いていましたので最近はなかなか参加できていません。野球をテレビで見るのも好きですが、私はプレーする方が性にあっていますね。
男の子が生まれたら休みの日は公園でキャッチボールしたいですね。

観葉植物

みゅう整骨院には、4本の観葉植物があります。時間があるときは葉っぱを吹いて埃をとったり、変化がないかいろんな角度からみて観察しています。キレイな緑色を見ていると癒されるものですね。

カフェ巡り

カフェの雰囲気が好きですね。当院のBGMはジャズをかけているんですが、それもカフェの影響です。モーニングをしたり、仕事帰りにゆっくりしに寄ったりしています。おススメのカフェがあれば教えてくださいね。

院長 合田 大輔(ごうだ だいすけ)

【経歴】

  • 姿勢循環療法取得
  • オステオパシー取得
  • 内臓整体取得
  • 頭蓋矯正取得
  • 自律神経ベーシック取得
  • 筋膜リリース取得
  • チャクラ、経絡エネルギー調整取得
  • 外反母趾矯正取得
  • 手専門整体取得
  • プライマリーウォーキング指導員取得

幼少期から高校時代

小さい時からとにかく体を動かすのが大好きで、今までラグビー、テニス、サッカー、バレーボールなど他にも色々とやってきました。毎週土日は練習という日々を過ごし、スポーツ毎に骨折や捻挫などのケガも経験してよく整骨院や整形外科にお世話になっていたことを覚えています。

高校時代にやっていたバレーボールで試合前に両足を捻挫してしまいテーピングで固定して痛みを我慢しながら試合にでました。その結果、初めて腰が痛くなってきて次の日の朝は起き上がれないぐらいになっていました。親に肩を借りながらすぐに整形外科に行き、そこでは椎間板ヘルニアだね。と言われてその日からリハビリすることになりました。

突然ヘルニアと言われて頭の中が真っ白に、リハビリ中もずっとこれからどうしよう。と考えていました。病院で最後に牽引という機械をして起き上がろうとした瞬間、腰に激痛が走り起き上がれなくなりました。えっ!なにが起きたの?もう何が何だか分からず泣きながら帰りました。

そこから整骨院や鍼灸など行きましたが悪化していくばかりで、もう一生このままなのか、二度と治らないのか、治せる先生はいないのか。なんで僕だけ。と色んな葛藤が出てきました。何より一番辛かったのは周りにその痛みを理解してもらえなかったことです。

そのまま学校を2ヶ月近く休み自然に痛みが引いていくのを待ちました。痛みが引いた後も腰の不安感は常にあり、スポーツ学校に通っていたので少し動き過ぎると腰が燃えるように痛くなり、足にもシビレが出てくる程でした。結局完全に治ることがないまま高校生活を終えました。

なぜ治らないのか?本当に治らないのか?そんな思いがあってちゃんとした原因が知りたい、治せる先生になりたい。そこからこの業界に行こうと専門学校に行き治療家になることを決意しました。

修業時代

国家試験に合格して憧れの業界に就職。しかし現実は違いました。最初に入った職場がマッサージをいかに上手くするか、いかに患者さんを待たせずにするか、電気や牽引の物療をしてマッサージして帰ってもらう。

患者さんの体もいったん良くなってもその場限りで、すぐ元に戻ってしまう。そんな毎日でした。

そんな時に過労でぎっくり腰になってしまい再び立てなくなってしまい、また2ヶ月仕事を休むことになりました。決意して業界に入ったのに今まで何をやってきたんだろう。そう後悔をしていました。

転機

そんな時にたまたま職場の先輩(現院長)から1通のメールがきました。今の状態を伝えると「治したるからおいで」と言ってくれて、すぐ通うことにしました。

1回目の治療で動けるようになり3回目でもう痛みが消えて普通に過ごせるようになったんです。治療も「こんな世界があるんだ・・」と全てが全然違い、「これだ!こんな治療をしていきたい!」と思いました。そして院長に相談してみゅう整骨院で働かせていただくことになりました。

院長のもとでたくさんのことを勉強させてもらい、今では自信をもって「僕に任せてください」と言えるようになりました。

来ていただいた方に喜んでもらえるようにこれからも精進し、僕みたいに痛みや不調がある事でやりたいことができない。そういう方を1人でも多くサポートしていきたいと思っています。

中浦 雅夫(なかうら まさお)

【経歴】

  • 姿勢循環療法取得
  • オステオパシー取得
  • 内臓整体取得
  • 頭蓋矯正取得
  • 自律神経ベーシック取得
  • 筋膜リリース取得
  • チャクラ、経絡エネルギー調整取得
  • 外反母趾矯正取得
  • 手専門整体取得

幼少期から就職

子供の頃から体を動かして遊ぶ事がなにより好きな幼少時代でした。

高校生時代は、引っ越しセンターでアルバイトをしていました。 引っ越し作業をしているときに、突然腰に痛みが出てきて、物を持てなくなりました。そのうち治るだろうと思っていたけど、日々の生活にも影響がでてきてやばいかなと思い病院に行きました。

診断の結果、椎間板ヘルニアでした・・・アルバイトにも行けなくなり整骨院に半年間通いました。

痛みも無くなり、普通の生活が出来るまで回復しました。この経験から自分と同じように働きたいけど出来なくなった人を助ける仕事がしたいと思いました。

しかし実際に就職した先は、大手飲料メーカーでした。ここでは、自動販売機の設置提案や、商品の補充、クレーム対応と全ての業務をやっていました。

飲料メーカーでは、特別賞も貰い、海外旅行も何度か行きましたが仕事内容は大半が機械相手の仕事だった為、ふと自分のやりたい事は本当にこの仕事なんだろうかと考えるようになりました。

そんなモヤモヤしている日を過ごしていると、息子から「パパの仕事ってどんな仕事なん?」と聞かれたんです。仕事が嫌いとか嫌なわけではなかったけど、胸を張って仕事内容を言えない自分がいました。

自動販売機の補充をしている時には、「いつもありがとう」「自動販売機の設置場所を紹介するから置いていいよ」等そういった言葉をかけて頂いた時には凄くやりがいはありましたが、心の奥では何か物足りなさを感じていました。

そんな時たまたま昔の引っ越しのアルバイト先の先輩と会うことがあり話をしていると、「今は整骨院で働いてんのか?」と聞かれ「実は飲料メーカーで働いてます」みたいなやりとりがあり昔話で盛り上がって、昔に志していた「人を助けるような仕事に就きたい」と思っていた気持ちを思いだしました。

その後、治療家に転職しようと決意しました。職場を辞める際には、家族、上司からすごく反対されましたが、専門学校に通いながら整骨院に転職しました。

修業時代

しかし現実は違いました。その整骨院では、来る患者さんに電気をあてて、マッサージをして、温めての繰り返しでした。「整骨院の治療ってこれでいいのかな?」「お客さんは満足してくれているのか?」と疑問に思うようになっていきました。

そんな時にIさんの担当になりました。Iさんは子育て中のお母さんでいつも背中と腰が痛くて子育てが辛いと言っていました。いつもの様に、電気をあててマッサージしての繰り返しでしたが、Iさんは必ず頭を下げて「ありがとうございます、次回も宜しくお願いします」と言ってくれます。

その言葉を聞くたびになぜか胸が痛くなりました。自分のことを頼ってきてくれているのに、自分は決められたことしかやっていない・・このままでいいのか・・何回か治療していましたが症状が完全に治ることはなく、とうとうIさんはご主人の転勤で引っ越しすることになりました。

最後にIさんに「体は少し楽になりました、今までありがとうございました」と言われたときに自分の不甲斐なさに腹立たしくなりました。最後まで患者さんに気を使われている先生なんて失格だとも思いました。

もっと勉強して、もっと練習してIさんを驚かせるような治療家になろうと決心をした日でした。

転機

このまま、ここで働いてもダメだと思い違う整骨院に転職しようと思って10件くらい見学しにいきました。その中で、みゅう整骨院だけが治療に対する姿勢や治療内容が全て違いました。検査、治療、患者さんとの向き合い方、これが理想の院だと希望が湧きました。

そして面接を受けて、みゅう整骨院にお世話になることになりました。その後、院長に患者さんへの対応、治療を教えて頂き「ありがとう、先生のおかげで治ったわ」と言われる事が増え、知人の方などを紹介して頂けるようになりました。素直に嬉しかったのを今でも覚えています。

みゅう整骨院で働いてから、自分の治療家人生がハッキリと変わりました。初心を忘れずに、担当させていただいたお客様には、全力で施術させていただきたいと思います。

高橋 裕里(たかはし ゆうり)

【経歴】

  • 姿勢循環整体取得
  • オステオパシー取得
  • 頭蓋調整取得
  • 内臓整体取得
  • 自律神経ベーシック取得
  • 筋膜リリース取得
  • チャクラ、経絡エネルギー取得

幼少期~高校時代

子どもの頃は父や友人に連れられて海・山・川と年中どこかへ連れて行ってもらい、外で遊んでいました。

習い事で空手やエレクトーンなどもさせてもらい、遊びに習い事に忙しい子ども時代でした。中学ではバレーボール、高校ではソフトテニスをしていました。

これと言って大きなケガをしたわけではないですが、友達と一緒に整骨院にメンテナンスを通うようになりました。

この業界に入ろうと思ったきっかけ

ずっとスポーツや体を動かす事が大好きでしたが、高校が国際科だったこともあり、高校3年生の夏まで外国語大学に入るつもりでした。

ですが、外国語大学に入り、何がしたいのだろうと考えた時にワクワクするような職業はありませんでした。そのときに、ふと自分が通っていた整骨院の先生を思い出し「これだ!」と直感しました。

整骨院の先生は、体の調子だけでなくメンタル面もフォローしてくれる存在でした。

単純に体を見るということだけではない仕事に対し、「かっこいいな~私も誰かのお手伝いがしたい!」と思うようになりました。

最初は両親に反対されましたが、どうしても整骨院の先生になりたかったので親を説得して柔道整復師の大学に入らせてもらいました。

大学時代~現在に至るまで

大学に入り4年間勉強した後、無事国家試験に合格し、地元にある整骨院に入社しました 。そこでは、人の体への触れ方など基本的なことを教わりました。

その後、産婦人科と提携している整骨院へ異動となり、女性特有の悩みや症状、妊婦さんや産後のお母さんのケアをさせてもらいました。

両院で計8年間、経験を積ませていただきました。他ではなかなか出来ない経験をさせてもらい 、勉強にもなりました。

ですが、もっと他の整骨院や整体の現場を見て勉強してみたいと思い退職しました。そして、みゅう整骨院でお世話になることとなりました。

みゅう整骨院には「今までどこに行っても治らなかった」と藁にもすがる思いで来院される方が来院されます。

私が皆様の改善へのお手伝いが出来るよう、全力で施術させていただきます。

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