中浦 雅夫(なかうら まさお)

幼少期から就職

子供の頃から体を動かして遊ぶ事がなにより好きな幼少時代でした。

高校生時代は、引っ越しセンターでアルバイトをしていました。 引っ越し作業をしているときに、突然腰に痛みが出てきて、物を持てなくなりました。そのうち治るだろうと思っていたけど、日々の生活にも影響がでてきてやばいかなと思い病院に行きました。

診断の結果、椎間板ヘルニアでした・・・アルバイトにも行けなくなり整骨院に半年間通いました。

痛みも無くなり、普通の生活が出来るまで回復しました。この経験から自分と同じように働きたいけど出来なくなった人を助ける仕事がしたいと思いました。

しかし実際に就職した先は、大手飲料メーカーでした。ここでは、自動販売機の設置提案や、商品の補充、クレーム対応と全ての業務をやっていました。

飲料メーカーでは、特別賞も貰い、海外旅行も何度か行きましたが仕事内容は大半が機械相手の仕事だった為、ふと自分のやりたい事は本当にこの仕事なんだろうかと考えるようになりました。

そんなモヤモヤしている日を過ごしていると、息子から「パパの仕事ってどんな仕事なん?」と聞かれたんです。仕事が嫌いとか嫌なわけではなかったけど、胸を張って仕事内容を言えない自分がいました。

自動販売機の補充をしている時には、「いつもありがとう」「自動販売機の設置場所を紹介するから置いていいよ」等そういった言葉をかけて頂いた時には凄くやりがいはありましたが、心の奥では何か物足りなさを感じていました。

そんな時たまたま昔の引っ越しのアルバイト先の先輩と会うことがあり話をしていると、「今は整骨院で働いてんのか?」と聞かれ「実は飲料メーカーで働いてます」みたいなやりとりがあり昔話で盛り上がって、昔に志していた「人を助けるような仕事に就きたい」と思っていた気持ちを思いだしました。

その後、治療家に転職しようと決意しました。職場を辞める際には、家族、上司からすごく反対されましたが、専門学校に通いながら整骨院に転職しました。

修業時代

しかし現実は違いました。その整骨院では、来る患者さんに電気をあてて、マッサージをして、温めての繰り返しでした。「整骨院の治療ってこれでいいのかな?」「お客さんは満足してくれているのか?」と疑問に思うようになっていきました。

そんな時にIさんの担当になりました。Iさんは子育て中のお母さんでいつも背中と腰が痛くて子育てが辛いと言っていました。いつもの様に、電気をあててマッサージしての繰り返しでしたが、Iさんは必ず頭を下げて「ありがとうございます、次回も宜しくお願いします」と言ってくれます。

その言葉を聞くたびになぜか胸が痛くなりました。自分のことを頼ってきてくれているのに、自分は決められたことしかやっていない・・このままでいいのか・・何回か治療していましたが症状が完全に治ることはなく、とうとうIさんはご主人の転勤で引っ越しすることになりました。

最後にIさんに「体は少し楽になりました、今までありがとうございました」と言われたときに自分の不甲斐なさに腹立たしくなりました。最後まで患者さんに気を使われている先生なんて失格だとも思いました。

もっと勉強して、もっと練習してIさんを驚かせるような治療家になろうと決心をした日でした。

転機

このまま、ここで働いてもダメだと思い違う整骨院に転職しようと思って10件くらい見学しにいきました。その中で、みゅう整骨院だけが治療に対する姿勢や治療内容が全て違いました。検査、治療、患者さんとの向き合い方、これが理想の院だと希望が湧きました。

そして面接を受けて、みゅう整骨院にお世話になることになりました。その後、院長に患者さんへの対応、治療を教えて頂き「ありがとう、先生のおかげで治ったわ」と言われる事が増え、知人の方などを紹介して頂けるようになりました。素直に嬉しかったのを今でも覚えています。

みゅう整骨院で働いてから、自分の治療家人生がハッキリと変わりました。初心を忘れずに、担当させていただいたお客様には、全力で施術させていただきたいと思います。