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代表 平井 大樹(ひらいたいき)

【経歴】

  • 2013年4月 みゅう整骨院開業
  • 2020年9月 みゅう整骨院 セミナールーム開業

※2020年9月以降、平井は既存客多数のご新規様のご予約はお取りすることが出来ません。

はじめまして、みゅう整骨院 代表の平井大樹です。

私は高校卒業後、スポーツトレーナーと柔道整復師の資格を取得し、延べ10万回以上の施術を通して患者様と向き合ってきました。

その中で、怪我や痛みの本当の原因は、身体の表面的な部分だけでなく、骨格、筋肉、神経、内臓、そして心の状態まで複雑に絡み合っていることに気づかされました。

しかし、当時の私は、症状を一時的に抑える対症療法しかできず、患者様を根本から救えている実感を得られずにいました。

「本当の意味で患者様の身体を健康にしたい。痛みから解放され、笑顔で毎日を過ごせるようにサポートしたい。」

そんな想いから出会ったのが、オステオパシーと呼ばれる手技療法です。

オステオパシーは、身体全体の繋がりを重視し、繊細なタッチで骨格の歪みや筋肉の緊張を調整することで、身体が本来持つ自然治癒力を最大限に引き出す治療法です。

私は、この画期的な治療法に感銘を受け、ヨーロッパの著名な先生のもとで研鑽を積んでまいりました。

特に力を入れているのは、140年以上の歴史がある古典的な全身調整方法です。

現代では、筋膜リリースやトリガーポイントなど、部分的な施術に注目が集まっていますが、私は、本当の意味で患者様の身体を根本から改善に導くためには、身体全体の繋がりを調整することが不可欠だと考えています。

なぜなら、腰痛や肩こりといった症状も、実は身体全体の歪みやバランスの崩れが原因であることが多いからです。

例えば、長年、腰椎ヘルニア、脊柱管狭窄症、側弯症と3つが複合して歩くことが出来ないと悩まれていた患者様がいました。

病院では「手術しかない」と言われていたそうですが、私の施術によって、「手術をすることなく、痛みから解放され、大好きな旅行に再び行けるようになり、孫と遊んでも腰が痛くない」と大変喜んでいただいています。

このように、古典的な全身調整方法は、腰痛や肩こりといった身体の痛みだけでなく、自律神経の乱れ、内臓の不調、さらには精神的なストレスまで、幅広い症状に効果が期待できます。

 

私は、この治療法を通して、患者様一人ひとりが持つ自然治癒力を最大限に引き出し、真の健康を手に入れるお手伝いをしたいと心から願っています。

現在では、私の技術が評価され、全国の治療家向けに年間90回以上のセミナーを開催するまでになりました。

「手術しかないと言われていた患者様が、手術を回避できた。」

「長年苦しんでいた痛みが消え、やりたいことができるようになった。」

私の治療を受けた患者様だけでなく、私が指導した先生方からも、このような喜びの声を数多くいただいています。

みゅう整骨院では、私が指導している優秀な施術者が、丁寧なカウンセリングと徹底した検査で患者様一人ひとりの身体の状態を把握し、オステオパシーをベースとしたオーダーメイドの治療プランをご提案しています。

「どこに行っても治らなかった…」

そんな諦めかけている痛みや不調も、諦めないでください。

最新の痛み学による知見と、長年の臨床経験に基づいた確かな技術で、あなたのお身体の悩みに寄り添います。 

あなたも笑顔で快適な毎日を取り戻せるように、当院が全力でサポートさせていただきます。

まずはお気軽にご相談ください。

院長 合田 大輔(ごうだ だいすけ)

【経歴】

  • 姿勢循環療法取得
  • オステオパシー取得
  • 内臓整体取得
  • 頭蓋矯正取得
  • 自律神経ベーシック取得
  • 筋膜リリース取得
  • チャクラ、経絡エネルギー調整取得
  • 外反母趾矯正取得
  • 手専門整体取得
  • プライマリーウォーキング指導員取得

幼少期から高校時代

小さい時からとにかく体を動かすのが大好きで、今までラグビー、テニス、サッカー、バレーボールなど他にも色々とやってきました。毎週土日は練習という日々を過ごし、スポーツ毎に骨折や捻挫などのケガも経験してよく整骨院や整形外科にお世話になっていたことを覚えています。

高校時代にやっていたバレーボールで試合前に両足を捻挫してしまいテーピングで固定して痛みを我慢しながら試合にでました。その結果、初めて腰が痛くなってきて次の日の朝は起き上がれないぐらいになっていました。親に肩を借りながらすぐに整形外科に行き、そこでは椎間板ヘルニアだね。と言われてその日からリハビリすることになりました。

突然ヘルニアと言われて頭の中が真っ白に、リハビリ中もずっとこれからどうしよう。と考えていました。病院で最後に牽引という機械をして起き上がろうとした瞬間、腰に激痛が走り起き上がれなくなりました。えっ!なにが起きたの?もう何が何だか分からず泣きながら帰りました。

そこから整骨院や鍼灸など行きましたが悪化していくばかりで、もう一生このままなのか、二度と治らないのか、治せる先生はいないのか。なんで僕だけ。と色んな葛藤が出てきました。何より一番辛かったのは周りにその痛みを理解してもらえなかったことです。

そのまま学校を2ヶ月近く休み自然に痛みが引いていくのを待ちました。痛みが引いた後も腰の不安感は常にあり、スポーツ学校に通っていたので少し動き過ぎると腰が燃えるように痛くなり、足にもシビレが出てくる程でした。結局完全に治ることがないまま高校生活を終えました。

なぜ治らないのか?本当に治らないのか?そんな思いがあってちゃんとした原因が知りたい、治せる先生になりたい。そこからこの業界に行こうと専門学校に行き治療家になることを決意しました。

修業時代

国家試験に合格して憧れの業界に就職。しかし現実は違いました。最初に入った職場がマッサージをいかに上手くするか、いかに患者さんを待たせずにするか、電気や牽引の物療をしてマッサージして帰ってもらう。

患者さんの体もいったん良くなってもその場限りで、すぐ元に戻ってしまう。そんな毎日でした。

そんな時に過労でぎっくり腰になってしまい再び立てなくなってしまい、また2ヶ月仕事を休むことになりました。決意して業界に入ったのに今まで何をやってきたんだろう。そう後悔をしていました。

転機

そんな時にたまたま職場の先輩(現院長)から1通のメールがきました。今の状態を伝えると「治したるからおいで」と言ってくれて、すぐ通うことにしました。

1回目の治療で動けるようになり3回目でもう痛みが消えて普通に過ごせるようになったんです。治療も「こんな世界があるんだ・・」と全てが全然違い、「これだ!こんな治療をしていきたい!」と思いました。そして院長に相談してみゅう整骨院で働かせていただくことになりました。

院長のもとでたくさんのことを勉強させてもらい、今では自信をもって「僕に任せてください」と言えるようになりました。

来ていただいた方に喜んでもらえるようにこれからも精進し、僕みたいに痛みや不調がある事でやりたいことができない。そういう方を1人でも多くサポートしていきたいと思っています。

中浦 雅夫(なかうら まさお)

【経歴】

  • 姿勢循環療法取得
  • オステオパシー取得
  • 内臓整体取得
  • 頭蓋矯正取得
  • 自律神経ベーシック取得
  • 筋膜リリース取得
  • チャクラ、経絡エネルギー調整取得
  • 外反母趾矯正取得
  • 手専門整体取得

幼少期から就職

子供の頃から体を動かして遊ぶ事がなにより好きな幼少時代でした。

高校生時代は、引っ越しセンターでアルバイトをしていました。 引っ越し作業をしているときに、突然腰に痛みが出てきて、物を持てなくなりました。そのうち治るだろうと思っていたけど、日々の生活にも影響がでてきてやばいかなと思い病院に行きました。

診断の結果、椎間板ヘルニアでした・・・アルバイトにも行けなくなり整骨院に半年間通いました。

痛みも無くなり、普通の生活が出来るまで回復しました。この経験から自分と同じように働きたいけど出来なくなった人を助ける仕事がしたいと思いました。

しかし実際に就職した先は、大手飲料メーカーでした。ここでは、自動販売機の設置提案や、商品の補充、クレーム対応と全ての業務をやっていました。

飲料メーカーでは、特別賞も貰い、海外旅行も何度か行きましたが仕事内容は大半が機械相手の仕事だった為、ふと自分のやりたい事は本当にこの仕事なんだろうかと考えるようになりました。

そんなモヤモヤしている日を過ごしていると、息子から「パパの仕事ってどんな仕事なん?」と聞かれたんです。仕事が嫌いとか嫌なわけではなかったけど、胸を張って仕事内容を言えない自分がいました。

自動販売機の補充をしている時には、「いつもありがとう」「自動販売機の設置場所を紹介するから置いていいよ」等そういった言葉をかけて頂いた時には凄くやりがいはありましたが、心の奥では何か物足りなさを感じていました。

そんな時たまたま昔の引っ越しのアルバイト先の先輩と会うことがあり話をしていると、「今は整骨院で働いてんのか?」と聞かれ「実は飲料メーカーで働いてます」みたいなやりとりがあり昔話で盛り上がって、昔に志していた「人を助けるような仕事に就きたい」と思っていた気持ちを思いだしました。

その後、治療家に転職しようと決意しました。職場を辞める際には、家族、上司からすごく反対されましたが、専門学校に通いながら整骨院に転職しました。

修業時代

しかし現実は違いました。その整骨院では、来る患者さんに電気をあてて、マッサージをして、温めての繰り返しでした。「整骨院の治療ってこれでいいのかな?」「お客さんは満足してくれているのか?」と疑問に思うようになっていきました。

そんな時にIさんの担当になりました。Iさんは子育て中のお母さんでいつも背中と腰が痛くて子育てが辛いと言っていました。いつもの様に、電気をあててマッサージしての繰り返しでしたが、Iさんは必ず頭を下げて「ありがとうございます、次回も宜しくお願いします」と言ってくれます。

その言葉を聞くたびになぜか胸が痛くなりました。自分のことを頼ってきてくれているのに、自分は決められたことしかやっていない・・このままでいいのか・・何回か治療していましたが症状が完全に治ることはなく、とうとうIさんはご主人の転勤で引っ越しすることになりました。

最後にIさんに「体は少し楽になりました、今までありがとうございました」と言われたときに自分の不甲斐なさに腹立たしくなりました。最後まで患者さんに気を使われている先生なんて失格だとも思いました。

もっと勉強して、もっと練習してIさんを驚かせるような治療家になろうと決心をした日でした。

転機

このまま、ここで働いてもダメだと思い違う整骨院に転職しようと思って10件くらい見学しにいきました。その中で、みゅう整骨院だけが治療に対する姿勢や治療内容が全て違いました。検査、治療、患者さんとの向き合い方、これが理想の院だと希望が湧きました。

そして面接を受けて、みゅう整骨院にお世話になることになりました。その後、院長に患者さんへの対応、治療を教えて頂き「ありがとう、先生のおかげで治ったわ」と言われる事が増え、知人の方などを紹介して頂けるようになりました。素直に嬉しかったのを今でも覚えています。

みゅう整骨院で働いてから、自分の治療家人生がハッキリと変わりました。初心を忘れずに、担当させていただいたお客様には、全力で施術させていただきたいと思います。

高橋 裕里(たかはし ゆうり)

【経歴】

  • 姿勢循環整体取得
  • オステオパシー取得
  • 頭蓋調整取得
  • 内臓整体取得
  • 自律神経ベーシック取得
  • 筋膜リリース取得
  • チャクラ、経絡エネルギー取得

幼少期~高校時代

子どもの頃は父や友人に連れられて海・山・川と年中どこかへ連れて行ってもらい、外で遊んでいました。

習い事で空手やエレクトーンなどもさせてもらい、遊びに習い事に忙しい子ども時代でした。中学ではバレーボール、高校ではソフトテニスをしていました。

これと言って大きなケガをしたわけではないですが、友達と一緒に整骨院にメンテナンスを通うようになりました。

この業界に入ろうと思ったきっかけ

ずっとスポーツや体を動かす事が大好きでしたが、高校が国際科だったこともあり、高校3年生の夏まで外国語大学に入るつもりでした。

ですが、外国語大学に入り、何がしたいのだろうと考えた時にワクワクするような職業はありませんでした。そのときに、ふと自分が通っていた整骨院の先生を思い出し「これだ!」と直感しました。

整骨院の先生は、体の調子だけでなくメンタル面もフォローしてくれる存在でした。

単純に体を見るということだけではない仕事に対し、「かっこいいな~私も誰かのお手伝いがしたい!」と思うようになりました。

最初は両親に反対されましたが、どうしても整骨院の先生になりたかったので親を説得して柔道整復師の大学に入らせてもらいました。

大学時代~現在に至るまで

大学に入り4年間勉強した後、無事国家試験に合格し、地元にある整骨院に入社しました 。そこでは、人の体への触れ方など基本的なことを教わりました。

その後、産婦人科と提携している整骨院へ異動となり、女性特有の悩みや症状、妊婦さんや産後のお母さんのケアをさせてもらいました。

両院で計8年間、経験を積ませていただきました。他ではなかなか出来ない経験をさせてもらい 、勉強にもなりました。

ですが、もっと他の整骨院や整体の現場を見て勉強してみたいと思い退職しました。そして、みゅう整骨院でお世話になることとなりました。

みゅう整骨院には「今までどこに行っても治らなかった」と藁にもすがる思いで来院される方が来院されます。

私が皆様の改善へのお手伝いが出来るよう、全力で施術させていただきます。

小林 裕宜(こばやし ひろき)

【経歴】

  • 姿勢循環療法取得
  • オステオパシー取得
  • 内臓整体取得
  • 頭蓋矯正取得
  • 筋膜リリース取得
  • 外反母趾矯正取得
  • 手指専門整体取得

幼い頃から人の役に立つことが大好きでした

小さい頃は野球や空手を習っていましたが、どちらかというと、母の肩をもんだり、マッサージをして「ありがとう!気持ちよかった!」と喜んでもらうことに夢中でした。

自作の肩たたき券を家族に配り、両親や祖父母を癒やすことが私の日課になっていました。

特に、おばあちゃんはカッピングが好きだったので、手伝いながら、人の役に立つ喜びを感じていました。

新しいことへの挑戦

中学ではバスケ、高校ではラグビー、そして大学時代はダンスに熱中しました。

興味を持ったものには、とことん向き合う性格で、ダンスに熱中した頃は、授業が終わると朝まで練習し、三日三晩寝ずに生活することもありました。

しかし、そんな無茶が祟り、身体に異変を感じるようになりました。

そして整体院に通い始めるようになり、そこで、かつて家族をマッサージして喜ばれていたことを思い出しました。

振り返ると、この時に

「人を身体の面から支えたい」 その想いが芽生え始めましたと思います。

一度は、社会人に葛藤の日々

一度はデザインの道に進みました。

 やりがいのある仕事でしたが、長時間労働や徹夜が続き、心身ともに疲弊。

精神科に通ったり、腱鞘炎や肩こり、頭痛に悩まされ、再び整体院のお世話になるように。

そして、「自分と同じように、身体の不調で苦しんでいる人を助けたい」 その一心で、整体師への転職を決意しました。

専門学校を卒業後、

以前お世話になった先輩が整体院で働いていたことがきっかけで、難波の整体院に就職しました。

自分の手で患者さんの悩みを解消し、喜んでもらえることに、この上ない喜びを感じました。

しかし、院の方針は、利益優先のビジネス色が強く、患者さんよりも売上を重視する社風に毎日悩んでいました。

 

みゅう整骨院に出会う

そんな葛藤の中、出会ったのが「みゅう整骨院」でした。

 

「患者さんのために手技にこだわる」という初心を忘れず、真摯に治療に向き合う院の姿勢に共感し、ここでなら、自分の理想とする治療家になれると確信しました。

 

勉強の日々ですが、一人でも多くの人の痛みや悩みを解消し、笑顔を取り戻すことが、私の原動力です。

患者さんに心から「ありがとう」と言ってもらえる、そんな治療家を目指して、これからも精進していきます。